身体感覚を養う
自分らしい演奏スタイルを追及するうち、分かってきたことは
私が意識の上では特に愛着のないまま、フルートを吹き続けてきた理由は、
その身体感覚によるものだったということです。
文字で書くと難しそうですが、
ようするに、吹いてる時の「爽快感」です。
上手になれば、なるほど
新しい技術を得れば、得るほど
「爽快感」が増していく。
よりレベルの高い演奏の場を求めて修業をしたことも
演奏している時の「爽快感」を求めていたからこそだった。
最初に、このことに気づいたときは、
あまりいい気持ちがしませんでした。
子供じみているし、神聖なる音楽を敬愛していたつもりが
ただ1次的な欲求を満たすためだったなんて・・・?
しかし、またつい最近になって
色々な情報がかみ合って一つの結論に達しました。
フルート演奏、呼吸法、武道、
セルフケア体操、オイリュトミーなど
自分がそれとは知らず選んできた身体の訓練は
「身体感覚を養う」という共通項を含んでいた。
それは禅の精神に通ずるものであり、
東洋哲学の「身体一元論」を志すものであり、
西洋的な科学による「心と体の二元化」からの
回帰を促すプロセスであるということ。
なんか難しい書き方になってしまったけれど
つまり、
頭でっかちになってると心も体も病んでくるから
昔ながらの日本人のように、常に身体に意識を置いて
物事に処すのを善しとする。
今の時代、とかく思考が先行しがちになるが
和の精神に心の平安を求める人も増えている。
その根底には、このような理由があったのだ。
フルート演奏も、自分の身体を、
心(思考)と一致させるプロセスであると言える。
フルートの大家、P.マイゼン大先生の教えも、
徹頭徹尾「身体感覚」でした。
武士の心得との共通性についても、
冗談交じりに、言及しておられた。
当時から頭では理解できていたつもりだけれど
身体感覚がより成長した今、改めて
マイゼンの教えを感得する悦びを感じている。 なにがしかの方法で、自分の「身体感覚を養う」ことは
人生において非常に有益であると思います。
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『日本人の心の所在は、腹にあると信じ、
心を静かに統一して頭にあるものを腹に静めていく感覚を持った。』
『内側の身体感覚を持つことは、身体を認めることです。
それは一如である心を認めることでもあります。
認めると、生きる安心や力が湧き上がってきます。』
藤井隆英