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人間性を叩かれまくる

しかし人生そう甘くはなく、二浪しても芸大には受かりませんでした。私立の音大に合格していたので、長かった受験生活はもう終わりでした。私もやっと大学生になれた!本当に嬉しかったです。 大学では、中野真理先生との素晴らしい出会いが待っていました。「プロになりたかったら一日4時間は吹いてね。」開口一番そう言われて、私は毎日その時間をこなす事に必死になりました。それだけでも十分忙しいのですが、演奏会にも片っ端から行きました。その上バイトを4つも掛け持ちしていたのです。 二浪もした挙げ句にべらぼうに学費の高い学校で、朝から母親に「お前は金がかかる」と散々なじられ、泣きながら登校する毎日です。それも仕方の無い事だと思っていました。やっと念願の音大生になれたのです。学校にいる時間は一分一秒がとても貴重だと感じていました。 私はこの学校では浮いた存在でした。寸暇を惜しんで必死になって勉強するというスタイルが笑い者になってしまう雰囲気がありました。それに、良くも悪くも「和」を重んじる風潮が強く、私などは人間的にも演奏も自己主張が強すぎて論外、という評判だったようです。 この学校には、年度末の試験で成績優秀であれば学費が免除になる奨学金制度があり、私は毎年、試験前になるというと目を吊り上げて猛練習したものです。その姿は、あまりにも必死でした。が、箸にも棒にもかからなかったのです。凹んでいる私をみて、周りの人達はさぞ可笑しかった事でしょう。 私はいつもそんな風に「学費の元を取らなくては・・」という義務感でがんじがらめになっていて、いつしか呑気な同級生たちが羨ましく、憎らしく、邪魔にさえ思えてきました。段々、あからさまに不快な態度で接するようになってしまい、すると「何かむかつく」という事で、ある時から村八分になってしまったのです。「和」を何よりも重んじる社会での「孤立」は、人間として最低の烙印を押されたも同然で、思い悩む余り、病気にもなりました。 そんな中、インディアナ大学の夏期研修に参加します。この時の仲間たちは、私の大人気ない振る舞いをむしろ歓迎してくれたのです。この時の出会いは、人生の宝物になりました。楽しくて楽しくて、体が痛くなる程、笑ったものです。そんなある日、芝生に寝転がって木々がそよぐのを見ていたら、突然「自分はこれでいいんだ」という考えが浮かび、涙が溢れてきました。この旅行は、精神的に大きな転機になったのでした。 自分に折り合いがついたら周囲の状況も変わるものなのでしょうか。帰国後、芸大の大学院をダメ元で受験してみたら、あっさり合格してしまいます。私の場合、4度目の正直でした。 ◆気づいた事「愛されたくて、良い子になろうと必死だったんだ。」

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